大正13年、黄金の穂波を願って
               昭和31年に決壊・そして再建


 瑞穂の池は、明治2年に小野幌に移住した人々が水田農家として生計をたてることに決め「掘井戸」などを造り、手押しポンプで水をくみ上げていたが、それでは足りなくなり、水不足で収穫ができなかった。何とかしようと大正13年に、白石村議会議員だった野口重蔵さんが、貯水池の造成に詳しい金木三郎左衛門さんらとともに白石第一土工組合を結成し昭和2年4月に組合設立が許可された。同年8月から工事を開始して、昭和3年8月15日に完成した。総工事費6万5千円(現在でいう約4億5千万円)を要し周囲1里20町(約4キロメートル)、貯水量6千立右尺(170万立方メートル)の溜池は実り豊な水田を願い「瑞穂の池」と命名したのである。
 そして、昭和25年11月に、偉業を永久に記念し、瑞穂池碑が建てられた。しかし、昭和30年4月20日、老朽化の為大決壊し、記念碑などを流出してしまった。復旧には莫大な費用がかかることから意見の対立もあったが、昭和31年12月に再建で話し合いがまとまり、地域ぐるみで資材の運搬などを協力、昭和32年再び瑞穂の池はよみがえった。この復旧には、当時の理事長の木内弥市さんの献身的な努力があった。
 当時のことについて木内弥市さんの息子である木内政雄さん(現在88歳)に話を聞いた。「大決壊のときは、南側の傾斜の方が砂地で中から壊れて穴があいたようで、水が相手だから止められなくて、土をうめて、応急処置で夕方まで家へ帰ったんです。そしたらもう、夜中すぎですよ。がっぱという夕立のような音がして家から出てみたらもう水びたしなんです。」語ってくれた。
 昭和47年に必要のなくなった池をなくすことになり、その時組合理事長だった木内政雄さんが、そのままにして、公園の池として使ってほしい、と言ったことから、今も開拓の村の管理のもと森林公園にある。
 何気なくあるような瑞穂の池にも、こんな歴史がある。

                                                   平成6年7月25日発行
                  啓成高新聞第87号「石碑は語る」より

瑞穂池碑